昭和44年02月26日 朝の御理解
御理解 第81節
「氏子十里の坂を九里半登っても安心してはならぬぞ。十里を登り切って向こう下りたらそれで安心じゃ。気を緩めると直ぐに後へ戻るぞ。」
信心とはこんなにも難しいのかと思う様なご理解ですね。信心は難しいものではない。氏子から難しくする。このご理解を頂いておればおる程難しくなる。しかし難しいと思うている信心が、教祖様が仰る様に信心は見易いものだと思える所までが私は安心だと思う。信心は見易いものだと分からして頂くまでが信心だ。例えて申しますと病気なら病気を致します、段々おかげを頂いて是ならば、と思える処までおかげを頂きます。
そして元に戻ると云いますかね、もとのように一見元気で、御用が出来る様になると致しますかね。元気に戻るまでと、云う事も言えますけれど、病気をして回復して、元通りに健康になる、それまでが大事である。けれども医者が、見離した様な病人が、確かに元に戻るおかげを頂いて、仕事が出来る様になる、それで安心かというと実は安心でない。信心がやれやれと疎かになると、あっという間に元に、戻ってしまう事実は、ここでも沢山ありますよね。
それを思っただけでも、この御教えは難しい事を説明しとられるんだなあと分かります。例えば病気なら病気、難儀なら難儀の為に一生懸命信心をする。一生懸命な信心のおかげで全快する。おかげで難儀というものが無くなったかの様におかげを蒙る。そこで十里の坂を九里半どころではない、十里登りきった感じである、元に戻るんですからね。それであっても、特別神様のおかげを頂いているのは特にそこなんです。
是は全ての事にそれは云えます。病気だけではない、人間関係だけではない経済関係だけでもない。全てのありとあらゆる難儀の中から御神縁を頂いて、信心に必死に打ち込んで、おかげを頂く様になる。経済なら経済の上にも安定する。是から先は伸びてゆくばかりだという風におかげを蒙る、健康においても、もう医者にみて貰っても元の病気は全然ない、全快である。
だから元通りの仕事が出来る様になる。人間関係でもそうである。あの様に縺れにも連れておった問題が神様のおかげでにこんなに櫛ですいた様に、縺れが綺麗になる。それで安心という事はない、何時縺れるやら何時また病気するやら、何時また病気になるやら元の木阿弥になってしまうやら分らん。そういう風に分らして貰う。例えば「十里の坂を9里半登っても安心してはならぬぞ。十里を登りきって向こうへ降りたらそれで安心じゃ」と仰る事はどういう事であろうか。
普通の考えでは病気なら病気が全快したら安堵の胸をなで下すわけ、そこで安心してよかりそうなものだけれども、それはそれではないという事が分る。それが証拠に「やれやれと」安心して信心が疎かになるとあっという間に、おかげを落としてしもうたという事実はもういくらもあります。私達は「向こうに下りたら安心じゃ」とここのところまでおかげ頂きたい。そう思って来ると信心は難しいなぁと思います。
もう考えただけでも病気が治ったら後が大変、信心辞めたらあとに戻ってしまうなら。とても自分には出来そうにない様に思う。所が信心の難儀の中から一心にお縋りすると信心の事が少しずつ分かって来る、信心が段々有難うなって来る。昨日二番目の息子が朝出て参りましてから、もう高校卒業して一年になります、今日始めて久留米に映画を見に行きたいという。
「テレビでも見とればいいじゃないか」と私は思いもしない、又云いもしません。「映画に行きたかったら映画に行けばよか」というてお金をやりました。昨日は修行生ばっかりの共励会が夜遅くなるまでありました。帰って来てその体験発表をしてるんですよ。「今日は光昭君どうだったかね、今日は面白かった」。「面白かったり不安だったり、やっぱり家で御用頂いた方がよかったり、色々だったらしい。
パチンコに行ったらしい映画を見ての帰りでしょう。朝の御理解がご理解42節だったので、42番の所がよかろうと42番の機械の所に行った、そらぁ出る事出る事瞬く間に500円ばっかり貰った。私は行った事がないので知りませんがそんな事を云ってました。この調子でいけば当分小遣いに不自由しないと思った。おかげ頂いたらしいんですけど、それからが行けなくなった。
今度は反対に取られるばっかりですっからかんに取られてしまった。昨日若先生が、新聞編集の事で印刷所に行っています、たまたまあちらに行った所が光昭がぼんやりしてから、取られてしもうてからぼんやりして居る所に丁度合った。兄ちゃんはそんな積りじゃなかもんじゃから、「早く帰るがよか」といって一緒に帰って来とりました「すいません」といってご飯食べとりましたそれで私が。
「一日遊んで来てから面白かったろ」と。所が成程面白うもあったけれども味気のないものだったとこう言うのです。やっぱりお広前で御用している方が、有難いというか19位の青年にわかる訳はないですけれど、充実感というか一日終らして頂いた時の気持ちというものがやっぱりお広前で御用さしてもらっている方が有難かった。という体験発表をしておりました。
そこで私は思うのですけれども、それとても繰り返し繰り返ししていると又映画に行きたくなる時もあるでしょう。けれども私共でもそうですが、どこにどういう素晴らしい処にご案内頂いても温泉旅館に行って、今日は一日有難い一日であった、楽な一日であったとどんなに云っても思っても、なんと云ってもここ御結界で奉仕している時が一番有難いです。だから早く帰ろう帰ろうという事になるんです。
私はそういう所までおかげ頂いた時に「やれやれ安心じゃ」という事になるんじゃなかろうか。やれやれ安心というのは私どもが「やれやれ安心」と言うのじゃなくて「もうあの氏子は大丈夫じゃ」と神様から安心して貰える信心が把握出来た時だと思いますね。人間ですから生身を持っていますから、何時でもどういう事に出会うか分りません。快楽から快楽を追う様な時もあるかも知れません。
遊びに耽ってその遊びの面白さが分かって来るかも知れません。けれども遊んだ後で、やっぱりお広前が一番よかった。何と言っても私にとってはここお広前が一番安住の地であり有難いんだ。と分からして頂く。神様がもうこの氏子は大丈夫と安心して下さるんではなかろうか。云うならば信心の妙とでもいうか、信心の味わいに触れ、この味わいを忘れられなくなるまでそれを自分のものにした時、光昭の例を取りましたら。
何時どういう時に来るか分かりませんけど、そういう事を繰り返し繰り返しさして頂く内に、自分の家が一番有難いんだ、お広前にいる時が一番有難いんだという事を繰り返し繰り返ししていく内に、いよいよどげん考えてもおかしくて映画見に行かれんと、という事に、是は五年かかるか十年掛るか二〇年掛るか分かりません。油断をすれば直ぐ後に戻ってしまう、向こうに下りたら安心じゃ、向こうに下りたらという事はそう云う様な事だと思うんです。
向こうに下りたら安心じゃ、そこで始めて「信心は見易いものじゃという事になるのだ。それまでは矢張り難しい、それまでは「泣く泣く辛抱しいしい」という事になって来る。辛抱し抜かせて頂く、そこから信心の有難さが身に沁みて来る。どこでどの様なよい夢を見ても信心さして頂いているという事が一番有難い。金光様の先生でいうならば、もうこの教師は大丈夫と云って神様が安心して下さるおかげを頂けたら、そのお広前は必ず御比礼が輝くと思うんです。
何処へ居ろうがど、こへ行くよりも、畳半畳ここお結界が一番有難いのだと分らして貰う。それを皆さんで言うならば何というても、御日参りして頂いている時が一番有難い、お広前に座っている時が一番有難い。朝の御理解を頂いているあのひと時が私の一番幸せの時と分からせて頂ける処まで。おかげ頂かにゃならんから一生懸命参っている、おかげ頂たいばっかり、是だったらじゅつないしかし誰だってもそこから入る。
そう参っている間にたまには信心とは有難いものだなあ、おかげを受けて有難いと思わん者は居ない。けれどもおかげ、おかげではないは別として例えば教えが自分の心に入って行く喜びと申しましょうか、信心が分かって行く楽しみと申しましょうか。それがたまには、信心とは有り難いものじゃ、という様なものが段々頂けて行く様になる。それが日々頂けて行く様になる。
まあ何かの都合で、お広前にお引き寄せ頂く事が出来なかった時なんかは本当に淋しい、早よう御参りがしたい。そういう処までお互いの信心が高められた、神様がもうあの氏子は大丈夫だと、思うて下さる安心して下さる事になるんじゃなかろうかと、それはありますよ、改まらなければならない処は沢山ありますよ、足らない処は沢山ありましょう、まだ教えておかなければならない事が、神様としては沢山ありましょうけれども、それを全部会得し体得して頂くまでと言うように難しい事ではない。
いよいよ信心は有難いんだと分かる。所まで、例えば私がお結界の奉仕をさして頂く、お結界奉仕がいよいよ有難いものに感じられる。からといってそれで先生の信心の進めとは云えんのです。限りなく解らして頂くのですから、又解らなければならんのですから。けれども信心というものは有難い、何物にも替えられない有難いものであり大事な物である、尊いものであるという事が分からして頂ける処までお互いの信心を進めていかなければならない。そこには神様の喜びと同時に安心があろう。
もうあの氏子は大丈夫、それが向こうに下りたらという事ではなかろうか、と今日の場合ここん処は、何回か繰り返して頂いたか分りませんが、その都度都度に心の中から分からして、今日私はそう言う風に分からして貰ったと思うのです。初めの間は信心は難しいと思っておったけれども嬉しゅう楽しゅう有り難うお参りが出来るのですから、もう難しいもんではないでしょう。
そこまで至った時に「信心は見易いもんじゃが」という事になるのです。皆さんの信心をひとつよく検討してみる、よく分からせて頂、自分は段々有り難いという事が分かって来た。所が時々は光昭じゃないけれども映画を見に行きたいと言う時もある、成程映画も面白い。けれどもお広前でこうやってご用を頂いているという事と映画とを秤にでもかけて見た時に、成程映画も面白い、しかしかけてみるとお広前でご用頂いている方が少し重いという事。
例えば親である私としても安心が出来る訳ですけど、何時映画の方がうんと重とう成って来るか、こりゃ分からんのです。そこでそこんところを繰り返し繰り返しおかげを頂いて行く内に、段々信心の方が絶対のもの、言うならば信心が見易いものじゃと云われるぐらいまでお互いの信心が高められた時に、いよいよ「この子は大丈夫」いう事になるのじゃないでしょうか。
ですから「向こうに下りたら安心じゃ」という事は「病気が治ったからそれで安心じゃ」という事ではないのです。元に戻る。元の健康に戻ったからひと安心出来たというのじゃない。それは本当の安心にならん。ああゆう難しい問題がおかげを頂いて解決のおかげを頂いた。これで安心した。もう段々おかげを頂いて経済の上でも、神様にあまりご無理を申し上げんで済む様に、段々おかげを頂いた。
このまま行きゃあ段々増えて行くだろう。だけだろうと思うて安心したら又元の木阿弥、その辺が難しいと思う、信心とは厳しいなと思う。そこで「十里の坂を九里半登っても安心してはならんぞ」とはその辺の事だと思うんです。こうなったから安心してはならんぞ。そういう信心はきついなあ、そこに頂上が見えているという時、いよいよきつい。そこを辛抱し抜かせて頂いて頂上を極める喜びとでも申しましょうか。
視野がいよいよ広まって来たその、信心の体得とでも申しましょうか、そういうものが、私共の信心の内容になって、ここお結界が一番有り難い処だと、取次ぎ者である私がそう分からして頂いた時、始めの間はそれこそ辛うて辛うて立ち上がれないんですからね。十時間近く、それこそ光昭じゃないですけれども、立ち上がりたい外にも出たいそういう人情と云うおうか梵情と云う様な物が段々影をひそめて来た。
私の足が6、7年間立たなかった。その時に私の心の中にいよいよ分かったのは、もう外へ一歩出ようとは思わんと言う様なものがその時生まれた。座って居ればどうも無いのじゃから、立つ事が出来ないだけなんじゃから。もう終生、生涯座らせて頂くという事が、愈々本格的な取次者になる。もう外へ行こうと思っても行けないんだから、もうこのお結界で御用をさして頂く以外にないぞ。
それでいよいよ有難い事になって来たなぁと私は思うた、実感として。そして本格的なお取次が出来るぞと思えたのです。おかげで、この様に歩ける様になり、立てる様になった。ところがその6,7年の間に芯から沁み込んだという感じ、立てと言われても立ちたくない位に、だんだんおかげを頂いて、又という事が神様も「もうあれは大丈夫、安心じゃと安心して下さる
。そこまで行った時に、始めて十里の峠を登って向こうへ下りた時という感じが致します。そこで始めて安心じゃと。だから安心じゃというのは、私はまだ安心じゃない、まだ限りなく分からにゃいけん事があるですから、そこんとこを間違えて、病気が治ったから安心じゃとか、この事が成就したから安心じゃと、安易な処に安心を持って行くから、後へ戻ってしまうのです。
安心と言うのは神様が安心して下さる、そこまで信心が到達した時はじめて安心という事になる。この頃十日前でしたか、お互い。信心に目鼻を付けておかないといけないと申しました「信心の目鼻」というのはね、是ならばあの世まで持って行けるという物、是ならばこの世にも残しておけるという物、そういう物をここで実感出来る物は何かと申しますと今日私が申している事だと思います。
皆さん信心がこよなく有難いもの楽しい物に感じられる様になったら、その信心が有難い物だという物が、あの世に持って行ける物、この世にも残して置ける物だと思うね。おかげを頂く事が有り難いけれども、それではなくて今日私が申します処の信心がね神様に安心して貰える処までお互いの信心が向上した時ですね、是が信心に目鼻を付けるという事はそういう事だと思う、信心に目鼻を付けると云う事は。
このままこのまま、例えばお国替えのおかげを頂いても、是だけは持って行けるぞと、確信が持てれる物を頂いた時、なら確信が持てれるものとは何かというと、私が申しました81節で頂いた「安心」それは私の安心ではなくて、神様が安心して下さる処まで、お互いの信心が有難い事になった時に、始めてそれならば間違いなくあの世にも持って行かれ、この世にも残しておけるものと思いますね。
どうぞ